『負けた』責任者になった方へ(@終戦のエンペラー)

あなたには「負けた責任」をとった経験がありますか?

日本では特定の個人がすべての責任をとることは稀です。「連帯責任」というやつです。

連帯責任といえば聞こえはいいですが、結局のところ「誰も責任をとらない」という意味です。

日本人は昔から「失敗」に関する研究が苦手ですが、第二次世界大戦にしても「誰に戦争責任があるのか?」ということについて、日本人は日本人の手で責任を追及することができませんでした。

例えば第二次世界大戦は明らかに「敗戦」ですが、「終戦」という言葉をチョイスするあたりが、いかにも日本人的であることにすら、多くの日本人は気づいていません。

歴史の教科書的では「戦争責任はA級戦犯がとった」ということになっていますし、歴史に疎い人は「軍国主義者が暴走した結果、戦争になった。」と本気で信じていますが、そんなことはありません。

ドイツでは民主主義な手続きによってヒトラーが誕生し、日本においても民主主義な手続きを経て軍国主義は誕生したのです。

誰も責任をとらない体質

現代日本では「敗戦処理」について会話をすることはタブー視されています。敗戦処理について話そうとすれば、どうしても「天皇の戦争責任論」に話が及ぶし、実は戦争責任をとるべき権力者がそのまま戦後日本で権力を維持し続けたことが白日の下に晒されてしまうからです。

都合の悪い真実は日本では「最初からなかったこと」にするのが通例です。国民に誤った情報を与え続けたメディアの関係者のほとんどもそのままメディア関係者として残ったし、政治家のほとんどもそのまま政治家であり続けました。

しかし権力者のなかで唯一、マッカーサーに「わたしが責任をとる」と直訴した人がいました。そう。昭和天皇です。

当時のアメリカでは「天皇は戦争責任を負わせるべし!」という世論が圧倒的でした。マッカーサーも将来的にはアメリカ総理大臣の座を狙っていましたので、アメリカ国内での人気を盤石にするためには、天皇に戦争責任を負わせるのが一番合理的な選択肢でした。

しかしマッカーサーは、アメリカ政府の方針に逆らい昭和天皇の戦争責任を免除しました。なぜならば昭和天皇と直接対話することで、マッカーサーは「昭和天皇は日本には必要な男だ」と確信したからです。

マッカーサーと対峙した昭和天皇は、どのようなふるまいをしたのか?ということについて、その一部始終を目撃したマッカーサーの通訳「バワーズ少佐」は以下のように語っています。

ちなみに映画『ラストエンペラー』は、「天皇の戦争責任」をテーマにした映画ですので、そのあたりのことをについて理解を深めたい方は是非とも参考にして下さい。

ラストエンペラー

最後に

天皇は「身代わり」になってでも国民を助けようとしました。

しかしわたしたちはついつい、自分の人生の責任をとろうともせず、「誰かが明るい未来を提供してくれる」という淡い期待に固執してしまいがちです。

もちろん、他人に責任を押し付けるほうが楽だし、そうとしか思えないような現実にも直面することはたくさんあろうと思います。

しかし残念ながら、誰もあなたの人生に対する責任をとってくれはしないのです。親、子供、配偶者、会社、国、、、、であっても、あなたの人生に責任をとってはくれません。

あなたは未来の「自分」をどのように想像しているでしょうか?

未来のあなたに対する説明責任は、現在に生きる『あなた』にあります。

以上のように考えると、他人から「頑張れ!」などと尻を叩かれずとも頑張れるはずですが、あなたはどうでしょうか?