希望を生む「甘い夢」は手放すべきか?(@殺されたミンジュ)

殺されたミンジュ

学生時代のわたしの友人は、テストの前になると「あ~、隕石が落ちて明日休校にならないかなぁ~」と、つぶやいていました。

現実逃避したいけど逃げられないという苦しみは、社会人になれば少しは軽くなると信じていましたが、そのような淡い期待はもちろん木端微塵にされました。(笑)

あなたもきっとそんな苦しみを日々実感しているうちの一人だと思います。

とはいえわたしは「わたしの努力が足りないから楽しくないんだ。」と社会人になってからしばらくは信じていました。だから、幸せになるためにたくさん努力をしました。

しかし社会的に恵まれているはずの人たちですら、完全に悩みから解放されているわけではなく、(世間一般でいうところの)勝ち組は勝ち組なりの苦しみがあることを理解するにつれ、「どこにも逃げ道なんてものはない」という確信を深めるのでした。

結局のところ、何をしていたら自分は幸せなのか?という問いは一生をかけて答えていくしかありませんが、そのような悩みは何もあなただけが抱えているわけではありません。

そこで今回は「わたしは誰なのか?」という究極のテーマを描いた映画作品を紹介したいと思います。

殺されたミンジュ

あらすじ

ある日、ソウル市内で女子高生ミンジュが殺害されます。

事件から1年が経過し謎の集団が、ミンジュの殺害にかかわった関係者を一人一人拉致し拷問し、「お前のやったことを全部書け!」と執拗に問いただします。

なぜ?ミンジュは殺されなければいけなかったのか??ミンジュ殺害の関係者を問いただせば問いただすほど深まる謎、、、、謎の集団はどこにいくのでしょうか?

見どころ

映画「殺されたミンジュ」を鑑賞するわたしたちは、「どのようにして生きるか?」という問いを突きつけられます。

1つ目の選択肢は、『本気(ガチ)で社会に染まる。』です。

映画では、出世するために組織からの要請であればそのまま素直に従うロボットのような人間が描かれます。

2つ目の選択肢は、『社会の外に生きる。』です。

映画では、社会の外で生きる人の基本的な作法、「仲間を殺すな、仲間のために人を殺せ」が描かれます。

3つ目の選択肢は、『社会と世界の境界線に生きる。』です。

映画では、社会の外(世界)の存在があることを認識した上で、社会がクソだと知りつつも、社会にまみれる選択をする人たちが描かれます。

4つ目の選択肢は、『いつまでもウダウダ悩んで生きる。』です。

映画では、社会での立場が悪くなれば「社会の外」に出ていこうとする癖に、風向きが変わると仲間を裏切り「社会の内」で生きることを望む人たちが描かれます。

映画「殺されたミンジュ」では、以上4つの選択肢のうち、1つの選択肢を間接的に推奨するストーリーになっています。(その他3つの選択肢を採用した人は全員亡くなります。)

もちろん映画で推奨される選択肢を採用すれば「幸せが保証される。」というわけではまったくありません。

世界はそもそも理不尽なので、その世界の上に成り立つ<社会>で生き延びるためには、「薄々気づいてはいたけど、そうするしかないよね。」という結論が、映画「殺されたミンジュ」では説得的に描かれています。

なんだか生きづらい・・・という気持ちを抱えている方は、是非とも鑑賞してください。