「わからないまま」の気持ち悪さを乗り越えることができるか?(@FAKE)

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一時期は現代のベートーベンともてはやされた男、佐村河内守氏は今どこで何をしているのでしょうか?

佐村河内守氏のゴーストライターであることを告白し、一躍脚光を浴びた『新垣隆』(にいがき たかし)氏とは対照的に、佐村河内守さんがメディアに登場することはありません。

しかし佐村河内守氏は騒動のあった2014年から約2年が経過した時に公開されたドキュメンタリー映画に登場しているのです。果たして、真相はいかに・・・・

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あらすじ

メディアに「現代のベートーベン」として紹介されていた佐村河内守氏。交響曲第一番HIROSHIMAを収録したアルバムはクラシックでは異例の10万枚という大ヒットを記録。

しかし2013年「新潮45」(11月号)において全聾(耳がまったく聞こえない)への疑惑が報じられ、翌年2月には週刊文春に「全聾の作曲家はペテン師だった!」が掲載され、大騒動に発展する。

果たして、佐村河内守氏は何を語るのだろうか?

みどころ

「佐村河内守は稀代の嘘つきだ!!」と信じている人は多いと思います。

しかし本当のところ、どこまでが真実でどこからが嘘だったのか?ということを正確に記憶している人はほとんどいないのではないでしょうか。

映画「FAKE」を観ると、メディアが作り上げた「佐村河内守」という人物像が崩れていくという体験をします。

映画を鑑賞するわたしたちは「もしかしてメディアは、佐村河内守という人物を不当に貶めたのではないか?」という疑念を強く感じるようになります。

そこで「佐村河内守は潔白だった。反撃開始だ!」という展開になることを期待するのですが、残念ながら(?)そのような期待はアッサリと裏切られます。

なんと、、、、、佐村河内守をインタビューする外国人ジャーナリストが「あなたが作曲できるという証拠があれば、疑惑はなくなる。だから証拠を見せてくれ!」と提案するのですが、佐村河内守氏は汚名を返上する千載一遇のチャンスをつかもうとしないのです。

誰の味方をすればいいかわからない。誰に感情移入したらいいかもわからない。何が真実かわからない。というモヤモヤは、映画のラストシーンで最高潮に達するのですが、詳細はネタバレになるので割愛します。

おそらく映画を視聴する人たちは映画監督の森達也氏から試練を与えられているのです。

その試練とは「わからないことをわからないまま放置して思考し続けることができるか?」という試練です。

わたしもそうですが、わからないことがあると白黒ハッキリさせたがります。わたしの場合、たまたま目に留まったネット記事のタイトルが興味深いというだけで、思わず記事をクリックしてしまいます。

白黒ハッキリさせたがる傾向は、専門用語では「認知的不協和の理論」として知られていますが、認知的な不協和を解消する時に大きな問題が発生することがあります。

なんと人間は現実を素直に受け入れることができない場合には、「認識を変える」という手段で認知的な不協和を解消してしまうというのです。

例えばとても仲のいい友人がある日突然、成功者になった場合には「努力した結果」だとは受け止めず、「アイツは才能があったんだ。いやそうに違いない!だからわたしが成功しないのも当たり前なんだ。」と思い込もうとするのです。

そしてさらに興味深いことですが、人間は自分で下した判断をなかなか変更することができません。デフォルト値(現在信じていること)を過剰に信用してしまい、他の選択肢を軽視するのです。(このことをデフォルト値バイアスといいます。)

さて、「無知の知」というソクラテスの有名な言葉があります。「知らないことを知っている人は、知らないことを知らない人よりもずっと賢い」という意味でつかわれます。

あなたは無知の知を実践できているでしょうか?本当はわかってもいないことを「わかった」つもりになっていないでしょうか?

とはいえ賢明な方であれば、「100%理解した・・・と信じていることのほとんど、というかすべてが勘違いなんじゃないだろうか?」という可能性に気づいてしまうはずです。

そしてその可能性に気づけば、「自分にとって都合のいい情報を他人に信用してもらえた人」は成功しやすく、逆であれば成功にくくなるということもわかるはずです。

全メディアから徹底的に叩かれる「前」の佐村河内守氏もそうでしたし、現在はマルチに活動する新垣隆も「才能がある人だ」と信じられているから売れている面は否定できないでしょう。

映画「FAKE」は、巷では成功者と信じられている人のほとんどが幻想にまみれているという事実を告発するように思えてなりません。

あなたが成功したいなら、誰かに騙されたくないなら、、、、是非とも鑑賞してください。