正義を貫徹するために「あえて」死刑を望む(@ライフ・オブ・デビッド・ゲイル)

ライフ・オブ・デビッド・ゲイル

あなたは「何かのために死ねる」と思ったことはありますか?

あなたは今、何のために命を削っていますか?

昨日と同じような今日、今日と同じような明日を過ごすことを、断固拒否した一人の男を描いた作品をご紹介します。

ライフ・オブ・デビッド・ゲイル【予告動画】

作品紹介

アラン・パーカー監督、オスカー俳優ケビン・スペイシー主演の衝撃サスペンス!

雑誌記者ビッツィー(ケイト・ウインスレット:映画タイタニックでディカプリオの相手役だった女優)は、死刑囚デビッド・ゲイル(ケビン・スペイシー)に指名され、死刑執行直前の3日間、インタビューをすることに。

デビッド・ゲイルから話を聞けば聞くほど、彼の無罪を信じるようになるビッツィー。しかしあと3日で死刑制度反対の大学教授として有名だったデビットが、死刑によって命を奪われてしまう。次々と明らかになる真実、そしてラストには衝撃の真実が!?

どんな人におススメ?

この作品のテーマは「死刑制度」です。作品では、死刑制度反対派と賛成派の主張がわかりやすく語られていますし、映画を観れば死刑制度の問題点をスムーズに理解することができます。

ちなみに日本でも2018年6月1日から日本版司法取引がはじまっています。死刑制度の問題点や課題について改めて理解を深めたい方におススメです。

また主人公であるデビット・ゲイルの生き方を通じて、「正義を貫徹することの犠牲」についても改めて考えることができます。

「死刑制度」、「正義」、「生き様」などのキーワードにピンとくる方には是非ともおススメしたい作品です。

気ままな解説!

ココから先は、管理人の気ままな解説です。映画についての理解を深める手がかりとして活用してください。

ネタバレ警報

ここから先はネタバレを大きく含みます。映画を視聴した後に閲覧することを強くおススメします!

すべて計算済み

映画の序盤で、デビッド(ケビンスペイシー)は知事とテレビ討論という場で「死刑制度」について議論を戦わせます。この討論が物語の本質を読み解くヒントになっています。

デビットは死刑制度反対の立場でこのように主張します。

死刑判決の根拠は、インチキ専門家の証言、他の囚人からのタレコミ。死刑制度によって、無実の人間が命を奪われている。」と。

その一方で死刑を許可する立場の知事は、こう主張します。

わたしが承認した131件の処刑で無実の者はいたのですか?もしいたなら名前を教えてください。あなたは冤罪を証明できるのですか?」と。

デビットは知事の意見に反論できず、黙ってしまったままテレビの討論番組は終了します。知事は勝ち誇ったような顔をしました。

作品のなかではここから紆余曲折あるのですが、結局のところデビットが疑いをかけられたレイプ犯罪や、殺人罪もすべて「冤罪」でした。

しかしデビットは冤罪であるにも関わらず、「レイプ殺人者」として死刑制度の犠牲になることを「自ら選択した」のです。

その証拠に、雑誌記者ビッツィーと顔を合わせたインタビュー初日、デビットはビッツィーに以下のようにリクエストしていました。

僕が選んだ人生の決着を書いてほしい。」と。

要するに、デビットは冤罪でレイプ殺人者として死ぬことを自ら選択したのです。でなければ、本来であれば勝ち取れたはずの終身刑をヘマにより手放した弁護士を解任せずに使い続けたことの説明がつきません。

デビットが証明したかったこと

デビットは、知事との討論番組で反論できなかったことを自らの命を賭けて証明しようとしたのです。

つまり単なる自殺を、殺人事件だと断定した警察、裁判所、世間に対して強烈な反論を試みようとしたのです。

主張したかったことはおそらく「冤罪事件の被害者の名前は、デビッド・ゲイルだ。」でしょう。

自由への鍵

デビットは自らを犠牲にすることで、冤罪事件の証明に成功しました。

しかし皮肉なことに、冤罪被害者がいることを証明した手段も、冤罪被害者を生んでいたであろう「フィクション」(真実ではないこと)でした。

要するに、「冤罪被害者を生んではならない!」という正義を貫徹するために、自らもまた「フィクション」という手段をとったのです。

もしデビットの冤罪事件が、フィクションであることが世間に知られたら、デビットと支援者たちの苦労は水の泡になってしまいます。

死刑制度反対の意思を効果的に世間に伝えるためには、デビットの主張がフィクションという土台の上に築いたものであることを知られてはならないのです。

なぜならば、冤罪を生み出した司法制度・裁判所・検察・警察の活動もフィクションであり、冤罪被害を立証するための手段もフィクションであるならば、結局のところ「同じ穴のムジナ」という印象を世間に与えてしまうからです。

死刑制度反対派、賛成派のいずれも「フィクション」であるならば、世間のみんなはこう思ってしまうはずです。「正義はどこにあるの?」と。

しかしデビットはそれでは困ります。デビットは「正義は死刑制度反対派にある。」と主張したかったのです。ですからフィクションであることは隠す必要があったのです。

そこまで理解すると、なぜ?ビッツィーがインタビューワーとして選ばれたのか?理解することができます。

作品の最後に、「自由への鍵」という文言が書かれた手紙とともに、「オフレコ」というタイトルが書かれた1本のビデオテープが届きます。

ビデオテープの内容は、「真実を暴くのがもっと早ければ・・・」と後悔の念にかられていたビッツィーを救うものでした。まさにビッツィーにとっては「自由への鍵」でした。

正義を貫徹するために、ビッツィーに嘘をついたまま亡くなることに対する、デビットからのせめてもの贖罪だったのだと思います。

しかしビッツィー、完全に自由になれたわけではありません。事実を知ることで後悔の念から解放されたのと同時に、デビットとの共犯関係を強要されてしまうからです。

おそらくビッツィーは、事実を世間に公開することはしないでしょう。

なぜならば、事実を世間から隠すことこそが、デビットがビッツィーに望んでいたことであり、デビットがビッツィーをインタビューワーに選んだ理由でもあるからです。

ビッツィーは取材の情報源を守ることで有名な人物であり、「オフレコは絶対に口外しない」という理念を強くもった女性でした。デビットはそこに目をつけたのです。

デビットの正義は、残されたビッツィーの心の中に封印されることで、貫徹されたのでした。

最後に

あなたは死刑制度に反対ですか?それとも賛成ですか?

日本では死刑制度が採用されています。また検察に起訴されれば有罪率99.95%です。つまり推定無罪(疑わしきは罰せず)というのは建前で、日本の司法は数字だけみれば推定有罪の考え方を尊重しているように思います。

本当に冤罪はないのでしょうか?過去の検察の証拠ねつ造事件などを振り返ればきっと冤罪はあるのでしょう。しかし冤罪があることを証明できるわけではありません。

そう考えると、結局のところ2択を迫られる必要があります。

選択肢の一つ目。冤罪事件を生まないために慎重に捜査するが、そのかわり犯罪者を取り逃がすリスクにも目をつぶる。

選択肢の2つ目。冤罪事件を生むかもしれないリスクを承知の上で、手段を問わずに悪を清める。

あなたはどちらの考えを支持しますか?