お金で愛を買った男が「ホンモノの愛」を発見する話(@愛しのアイリーン)

愛しのアイリーン

あなたには『忘れられない言葉』がありますか?

わたしはサラリーマン時代に既婚の男性上司からいわれた一言が今でも忘れられません。

その一言とは「誰と結婚しても、そこそこ幸せになれると思うよ。」でした。

当時独身だったわたしには理解できませんでしたし、正直な話、「意味不明」でした。しかし今なら、上司の言葉の意味がよくわかるのです。

恋愛結婚

なぜ?わたしが上司からの言葉を素直に受け入れられなかったというと、、、、理由はシンプルです。

わたしは恋愛や愛の延長線上に「結婚」があると思い込んでいたのです。ひらたくいえば「恋愛結婚」というやつです。

しかし大人になりいろいろな経験をすると、恋愛結婚というものが定着したのは20世紀になってからだということを知ります。

みなさんご存知のとおり、恋愛結婚が市民権を得るまでは「お見合い結婚」が一般的でした。お見合い結婚には「愛」は必要なく、愛は結婚してから育むものだったのです。

つまり「結婚はあくまでも手段であり、愛は結婚の前提条件ではない。」という感覚は、つい数十年前までは主流だったということです。

あなたは「愛は目的であり、結婚は手段」(お見合い結婚)という発想を支持しますか?それとも「愛は手段であり、結婚は目的」(恋愛結婚)という発想を支持しますか?

本当の愛というものがあるとしたら、どちらが『本当の愛』に近いと思いますか?

愛しのアイリーン

『愛』をテーマにした映画は数多くありますが、今回紹介したい映画は「よくある恋愛映画」ではありません。主演の安田顕さんも「覚悟して観たほうがいい」とインタビューで答えているいわば「アート」としての映画を紹介します。

映画のあらすじ

安田顕演じる(岩男さん)は、恋愛経験ナシのパチンコ店員です。岩男さんはいい人なのですが、結婚するために愛を探したものの、愛を見つけられないまま42歳になってしまっています。

ある事件を境に心に傷をもった岩男さんは、300万円ものお金を支払って、フィリピンのお見合いパーティーで出会った花嫁(アイリーン)と結婚します。

岩男はアイリーンに一目ぼれしたわけでもなければ、もちろんアイリーンに「愛」を期待したわけでもありません。

しかし岩男とアイリーンの2人がいろいろな事件に巻き込まれていくうちに、何もなかった関係性の中に『愛』が生まれていくという物語です。

愛を誤解していないか?

人気漫画(1995年から1996年まで『ビッグコミックスピリッツ』で連載)が原作というだけあって、単純に娯楽映画としても楽しめると思いますが、『愛』をテーマにした作品だけに、多くの観客は心を深く傷づけられる体験をするはずです。

なぜならば、愛しのアイリーンで描かれる「何もないところに愛が生まれる」という過程を見せつけられることで、映画を観る前までの観客にとって「愛」だと思っていたものが実は『愛』などではないという可能性に気づかされてしまうからです。

つまり映画で描かれる『愛』とは、見ず知らずの他人同士がさまざまな経験を共有するうちに、お互いにとってかけがえのない存在(入れ替え不可能な存在)になるというプロセスそのものだということです。

もっとかみ砕いて説明するのであれば「結婚してからが勝負」ということです。愛を手に入れることができるかは、結婚生活での営みにかかっているのであって、結婚することは『愛』を証明するものでもなんでもないということです。

それにもかかわらず、わたしがさまざまな夫婦関係の悩みをヒアリングした経験上、『結婚』というものに過剰な期待をしている人が多いように思います。

具体的には「結婚すれば幸せになれる!」と盲目的に信じてしまったがために、結婚してから理想と現実とのギャップに苦しんでいる人は本当に多いと感じています。

「お金で愛を買う」はクズか?

お金で愛を買おうとする岩男さんはクズなのでしょうか?

岩男さんがクズなのだとすれば、岩男と結婚したアイリーンはクズなのでしょうか?

愛する娘アイリーンを見送るアイリーンの母親はクズなのでしょうか?

はるばる異国の地から来た花嫁(アイリーン)を認めることができず、ライフルで威嚇する岩男の母はクズなのでしょうか?

結婚した岩男さんと不倫する女はクズなのでしょうか?人妻であるアイリーンを誘惑する男もクズなのでしょうか?

映画にはさまざまな人物が登場しますが、この映画には「悪人」は一人も登場しません。みんないろいろな経験をした結果、あたかも「そうなるべくしてそうなった。」かのような境遇にいます。

岩男はいわゆる「いい人」なのですがいい人というだけでは結婚はできません。アイリーンだって、アイリーンの母親だって、偽装結婚を斡旋するブローカーだって、生き延びるために悪いとわかっていることをやっています。岩男の母親にも、岩男と不倫する女にも、アイリーンと誘惑する男にも「それなりの事情」がありました。

「それなりの事情」を抱えた登場人物が「無から愛を発見する」という過程を観察することで、「本当の愛とは何か?」ということを考えることができる、そんな作品です。

最後に

きっとあなたも「それなりの事情」があって今の境遇にいるわけであって、今の境遇を100%自分の意志だけで選んだのか?というとそんなことはないはずです。

しかし多くの人が「それなりの事情」に追い立てられているうちに、「手段」であったはずのものを「目的」と勘違いするようになるのです。例えば、、、、

幸せになるために「結婚」するのに、結婚するために幸せを探してしまっていませんか?幸せになるために「仕事」するのに、出世するために幸せを犠牲にしていませんか?幸せになるために「お金を稼ぐ」のに、お金を稼ぐことが至上命題になっていませんか?

『愛しのアイリーン』という作品は、いわゆる予定調和の『外』にある作品であるがゆえに「家族で仲良く鑑賞する」という類の映画ではないと思います。

しかし言葉で表現しようとすると、途端にチープ(安っぽい)な印象になってしまう「本当の愛」というものを、作品全体で表現しているという点で他にはない作品となっています。是非、鑑賞してみてください。